医学史上最も重い人物

1941年から1983年まで生きた、ジョン・ブラウアー・ミンノック(アメリカ)。その非常に短い生涯の間、彼は医学史上最も重い人物としてギネス世界記録に名を残した。

想像を絶する困難に満ち溢れていた彼の人生だが、彼は幾度となく立ち向かい続けた。医学だけでなく、摂食障害や肥満などに対する社会の認識にも深い影響を与えた。

彼が公式に医学史上最も重い人物として認定されたのは、1978年3月のことだった。

Jon Minnoch black and white

ミンノックの生涯は、1941年9月29日、ワシントン州の東に位置する小さな町、ベインブリッジアイランドにて始まった。

幼少期から重度の肥満に苦しんでおり、わずか12歳で、体重は133 kg。体重管理は上手くいかず、その体重は時間の経過と共に彼の身体にますます危険な健康問題を引き起こしていく要因となっていった。1963年に医師の診察を受け、再び計測された際、ミンノックの体重は178 kgを記録。この時、彼の身長は185 cmだった。

同年、最初の妻であるジーン・マカードル(通称、ジャネット)と結婚。ミンノックの入院や体重管理を支えた。

夫婦は、ベインブリッジ・アイランド・タクシーというタクシー会社で働いていた。ミンノックの体格が生じる健康問題と過労しやすい心臓の負担にも関わらず、二人は明るい態度で毎日仕事をこなし、周りからの評判もとても良かった。

ジャネットとの結婚から3年が経った1966年、ミンノックの体重は317 kgを測定する。1976年9月には442 kgに達した。 

体重の増加につれ、ミンノックは医学的な調査とメディアの注目の的となる。だが、年月が経つにつれ彼の状態は悪化していく。1978年には、体重はさらに急増。心臓、呼吸器、循環器の問題が生命を脅かすほどに悪化し、彼の健康と生活状態は著しく損なわれていった。

継続的な痛みに嫌気が差したミンノックは、そのせいか時折「ほとんど何も食べない」ほどの過剰なダイエットを実行し、その後危険なリバウンドに襲われる悪循環にも陥った。ミンノックは、絶えず自身を改善するために努力をし、普通の生活を取り戻そうとした。

その年の3月、ミンノックはシアトルの大学病院に入院。

彼を診察した、内分泌学のコンサルタントであるロバート・シュワルツ博士は、ミンノックが635 kg以上の体重があるはずだと計算。前例のない記録を作ったが、同時にミンノックの生命は危険な状態にあった。

数人の消防士と担架がなければ、ミンノックを安全に自宅から大学病院行きへのフェリーが出る波止場まで運ぶことさえできなかった。

病院に到着した後、体液で飽和し、心臓と呼吸器の不全に苦しむミンノックは、2つのベッドをくっつけた上に寝かされた。彼の身体を転がすためには、13人のアシスタントの力が必要だった。

彼の体の約80%が脂肪組織(一般的に体脂肪として知られる)で構成されており、その驚異的な体重のほとんどは、うっ血性心不全を起因とする、水分蓄積によるものだった。

この入院は、彼の家族にとってもう一つの記録を意味した。1978年、彼とジャネットは、夫婦として記録された最大の体重差の記録を打ち破った。この記録は今日まで破られていない。2人の体重差は、なんと585 kg。ジャネットの体重は50 kgだった。

ジョンとジャネットは1980年に離婚。

それでも彼は諦めずに日常生活を続け、健康問題に立ち向かいながら、1982年1月にシャーリー・アン・グリフェンと結婚した。

夫婦の間には、ジョンとジェイソンという二人の子供が生まれた。

illustration of obese human white background

ミンノックの肥満と摂食障害は、遺伝、環境、生理学的要因の複雑な相互作用によるものだった。

彼は心臓の問題から糖尿病まで、さまざまな医学的問題に直面した彼。当時、摂食障害、肥満、不健康な食文化に対するリソースは、今に比べてかなり限られており、彼の健康状態の悪化は止まらなかった。

彼の生涯は、肥満に関連する健康上の課題や、社会的な課題との絶え間ない闘いだった。そしてその生活は、彼の状態を管理するのに役立つ解決策を見つけようと奮闘する医療専門家たちに囲まれていた。

約1日1,200カロリーのバランスの取れた食事をキープし続けた結果、体重は216 kgまで減量し、ミンノックの健康は重要な改善を遂げた。約2年間の入院生活に終わりを告げ、遂にシアトル病院を退院した。

Illustration of sleep apnea

信じられないほどの忍耐力と努力を持ち続けたミンノックだが、残念ながら、彼はそこからさらに体重を増やし、再び入院することとなった。

1981年10月、89 kg以上体重を増やした形で再入院したミンノック。

過剰なカロリー摂取を除いて、原因こそ完全に特定されなかったものの、ミンノックの生活を観察しながら、医師たちはClass IIIの肥満が患者に与える影響について研究を進めた。すべての人の背景には、身体的な外見や統計を超える物語があるということを、忘れてはいけない。

そして1983年9月10日、彼は悲しいことにこの世を去った。当時、彼の体重は362 kgを超えていたという。

2人の息子の父親として、最後まで彼は生き抜いた。

2013年8月、カリド・ビン・モハセン・シャアリ(1991年生まれ、サウジアラビア)は、推定される最も重い生存者であり、記録に残る歴史上2番目に重い人物と考えられた。体重は610 kg。
だが治療の結果、たった6か月間で、なんと総計320 kg以上の減量に成功した。

heaviest woman ever

最新の公式記録で、生存する最も重い女性と認定されたのは、アメリカのポーリン・ポッターだ。

ポッターは当時、カリフォルニア州サクラメントに住んでおり、291.6 kgの体重が公式に確認されていた。

2011年にこの記録について知ったポッター。最も重い生存する女性としてギネス世界記録に載ることが、自分を変える励みになると宣言しました。

それ以来、彼女は自分を鼓舞し続け、TLCとDr.ヨウナン・ノウザラダンがホストする『My 600lb Life』のシーズン3でテレビ出演を果たし、以後司会者としての知名度を手にいれる。

最近では、Dr. NowのInstagramで、ポッターは自身の減量の過程をアップデートしている。

医師は、「彼女の旅路、そして彼女が成し遂げてきたことを、とても誇りに思っています」とキャプションに綴った。