『鉄拳』シリーズディレクター 原田勝弘さん

1994年に発売されて以来、対戦型格闘ビデオゲームのジャンルにおいて圧倒的な人気を、日本のみならず世界で誇ってきたバンダイナムコエンターテインメントの『鉄拳』シリーズ。同ゲームシリーズは、「最も長く続く3D格闘ビデオゲームシリーズ|Longest-running 3D fighting videogame series」と「最も長く続くビデオゲームの物語|Longest-running videogame storyline」として、世界記録に認定されました。

今回は、同認定証授与にあわせて、同『鉄拳』シリーズを導き続けたプロジェクトディレクターの原田勝弘氏にインタビューしました。

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"自分の価値観、許容範囲をどれだけ広げられるかが重要"

ーーギネス世界記録に認定されてのご感想を教えてください 
 
もともと対戦ゲームで先行するタイトルがある中、ライバル意識を持って、業界を盛り上げたい、ライバルに追いつき追い越したいという思いを20代の頃に抱いてつくっていたので、それから時を経て20年以上関わってきて当初燃やしていたライバル心や闘争心がこういう形で返ってくるとは想像していなかったので、びっくりしましたね。仕事やライバル心がこういう形で第三者の評価を受けるというのは、面白い報われ方をするもんだなと思いました。 
 
 
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ーー20代の頃は「世界に向かって挑戦しよう!」なんてことは考えてなかったのですか?
 
 
まさに鉄拳の世界がそうなんですけど、鉄拳の世界の格闘家は必ずしも世界一を目指しているわけではなく、例えば親子が争っているんですけど、「自分の親よりも少しだけでも強ければ良い」とか「あいつを倒せれば良い」という発想で戦っている人が多いんですね。まさに僕はそれで、自分が設定したライバルになんとか追いつきたい・そして追い越したい。
 
 
これを達成できれば僕としては、その時点で立っている位置が世界一かどうかということまで当時は意識していませんでした。僕の場合は先を走っていた格闘ゲームで非常に著名なものがあって、中でもストリートファイターやバーチャファイターは雲の上の存在で、ジャンプしたくらいじゃ届かない位置にいたので、そこへの思いでしたね。そこを超えられればその時に第三者がなんと言おうと構わないという気持ちでやっていたんです。
 
 
とにかく、目の前のライバルに追いつきたいという思いで必死に走ってきたので、気が付いたら○○ということがとても多くて、今回のギネスもまさにそうで、表彰された時に「あ、そうだったんだ!」という感じでした。挑戦し続けているまだ最中だと思っていたので、ちょっと驚きました。
 
 
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ーー世界的に人気のあるこのゲームに長年関わってこられたことについてはどう思われますか?
 
 
正直ラッキーでした。自分達でやってきたことは我々自身の実力って言いたいところはありますが、今になって振り返って思うと、運が良かったなと思います。このジャンルは90年代から21世紀なりたての頃、大量にでてきて大量に消えていったこともあったんです。対戦格闘ゲームのブームがあって、ほとんど途切れたか、なくなってしまったのが多くて。
 
その中でも我々は決して順風満帆なスタートではないところから生き残ってこられたのは、色んな運の良さがあって、環境・他社さんの力・集まってきたチームメンバーの組み合わせのほか、上司にも理解のある人がすごく多かったんです。少なくとも僕ほど部下と上司にこんなに恵まれていた人はいないだろうし、上司と部下に恵まれたらこんなに気持ち良く楽しく仕事ができるんだって断言できる23年間でした。
 
部下は選べる可能性はありますけど上司は選べないので。数年ごとに別の上司が就いてますが、運よく僕の好きにさせてくれる人があまりにも多かったんです。
 
 
ーーゲームづくりで、チームを引っ張っていくとか、チームの一員として大切にしてきたことはどんなことでしょう?
 
 
 チーム自体は絶対に「ここに向かっていきましょう」というのを設定していました。例えば、チームビルディングを作る中で、最初に「とにかく僕が言うことは信用してください」と言っていたんです。それは、僕が正しいかどうかじゃなくて、僕が大切にしていたのは、ユーザーの動向の統計的な観点をすごく大事にしていたんですね。
 
 
個々の意見のアイディアはしっかり拾う必要はあるんですけど、まずは統計的に世の中で起きていること。例えば、どのキャラクターが人気でどういうゲームが人気なのかを徹底的に捉える、そこからみえてくる全体のオーディエンスと全体のオーディエンスからは拾えない個々の意見、つまりユーザーのフィードバックをどう集めるか、そしてどう分析するかということを初期の頃からかなりやっていたんです。
 
 
僕はそれをチームには詳しくは言ってなかったんですけど、「僕は答えを持っている」と言い続けていたんです。だから20代で2年目の自称ゲームディレクターの話をベテランプログラマーの皆さんいきなり聞いてくれて…。もちろん最初は嫌われたんですけど、「絶対に売れるようになる!」と言い張っていたので、そこは自分が悪者になりました。
 
 
嫌な奴でもパワーのある奴が1人いれば皆が1個になるというのはあるので、苦情も含めて全部自分が引き受けるという気持ちで引っ張っていたのは確かだと思います。ムードを作るというよりも、自分の中で不安であっても「絶対こうする方が勝てるんだ」と言い切っていました。
 
 
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ーーゲームクリエイターになりたい子たちも多いと思います。子供たちが、何か世界で1つ事を成すためには、どんなことが重要だと思いますか?
 
 
 僕は親に言われることや学校で言われることなど、日本社会の中で言われることは間違っていないと思います。基本的には1回素直に受け入れてもいいと思う。でも、やっぱりどこかで受け入れているうちに、オープンじゃなくなって、価値観が閉じちゃう部分もあるんですよね。これが常識なんだって思い込みを作っちゃうじゃないですか。面白いことに、世界の市場に出ていくと、日本の常識なんてまったく通じなかったりするんですね。世界には、「これだっ」て決め付けられる常識って、実はないんです。
 
 
世界に常識がないことにすごく気づくんです。その瞬間に、自分のやり方や自分が信じてきたものが崩壊する、もしくは通じない可能性も大いにある。その時に価値観を自分の許容範囲をどれだけ広げられるのかがすごく重要です。「寛容にならないとダメだ」と思ったんです。自分に対しても他人に対しても寛容でなければ、「いやっ、それは俺のやり方に合わない」とか、「それは認められない」となってしまうと、多分それ以上に教わることもなければ、知識も入ってこないですよね。
 
 
その意味で僕は鉄拳が世界市場に出た時に思い知らされたんですね。日本とはまるで違うな、と。商売のやり方も違うし、つくり方も違う。親や先生の言うことも聞いて1つの常識つくってもいい。だけれども、別の世界に出た時には、別の常識や教育を受けた人とぶつかるわけだから、その時に自分が寛容でなければ自分の成長もないんじゃない。だから、寛容であってほしいというのは1つのメッセージなんです。
 
 
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ーー最後に多くのゲームファンやギネス世界記録の読者に対して、メッセージをお願いします。
 
 
 本当に今回の受賞はある意味、積み重ねでもらった賞だと思うんです。1日、2日じゃ絶対にできない賞だったので。子どもの頃から「塵も積もれば」とか諺でもって親に地道にやれと言われていましたけど、僕自身はそもそも“地道”というキーワードがなくて、わりとその時その時の感情で動いていたところが大きかったんですね。計画を立てるのもそんなに得意な方ではなかったので。
 
 
でもやっぱり、地道にやっていて報われることがあるんだというのが今回の受賞の正直な気持ちです。今後チャレンジしていきたいことは、自分が持っているスピリット、つまり、闘争心とか、どういうふうに生きていけば自分を肯定できるのか、これを後世に伝える方法にチャレンジしたいですね。
 
 
学生に対して何かを教えるというのもチャレンジしたいし、教育者的な立場というのも正直興味がある。常識にがんじがらめになりすぎていて、目標がわからなくなっている子に対して、「自分がアクションを起こそうと思えば、勝手に目標を設定し、勝手に動けちゃうんだよ」と言うと、皆びっくりするんですよ。これをやっていきたいですね。
 
励みになる言葉の数々、どうもありがとうございました! 
 
 
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