カミ・リタ・シェルパ&ラクパ・シェルパ: エベレスト登山最多回数

ヒマラヤ山脈のエベレストは地球で「最も高い山」で、登頂するのは世界で最も過酷な挑戦の1つだ。多くの登山家にとってエベレストを制覇するのは大きな成果となる。しかし、世界一の山の影にあるサガルマータに住む2人のネパール人は、1回の登頂で満足しなかった。

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Words: Rob Dimery

エベレストーー多くの人はこの世界最高峰を目指した。標高8,848 mの山は、1955年に出版された書籍「ギネス世界記録」の初版の最初に出てくる記録でもある。(早速余談だが、最高峰の山はエベレストだが、その他にも海洋底から測る「最も高い山」は、ハワイにあるマウナ・ケア(10,203 m)だ。)

登頂するには精神力、スタミナ・持久力が試される。1回の登頂が過酷なのであれば、それをもう1回、そしてもう1回と登り続けるのはどれだけ大変なのだろうか。その答えを持っているのは、ギネス世界記録「エベレスト登山最多回数|most ascents of Everest」を持つカミ・リタ・シェルパ&ラクパ・シェルパだ。

1. 最高峰の山、エベレスト(8,848 m) 2. エベレストは平地から頂上まで2,700 mある 3. 北アメリカ最高峰のデナリは標高6,190 mだが…… 4. ふもとの平地からの比高は5,596 mある 5. 最も高い山、マウナ・ケアは4,205 m 6. 地球の内核から最も距離のある地点は エクアドルのチンボラソ山の6,384.4 km(エベレストは6,382.3 km)

カミ・リタ・シェルパ

ネパールのカミ・リタが2019年に5月21日にエベレストの頂上にたどり着いた。それは彼にとって24回目の登頂。ギネス世界記録「エベレスト登山最多回数|most ascents of Everest」を更新した。さらに驚くべくことは、その6日前に、23回目の登頂を果たしているのだ。そして登頂をやめるつもりもない。(2020年に50歳になった)本人によると、あと10年程度は登り続けることができるそうだ。

カミ・リタの原動力の源は父親からきている。1950年、ネパールが海外からの登山家を受け入れるようになり、カミ・リタの父親は初期のプロガイドとなったが、1992年に重度の凍傷が原因で現役を退いた。その年にカミ・リタは、エベレストのベースキャンプで料理人のアシスタントになったと兄のラクパは振り返る。しかし実際は12歳から、ポーターとしてベースキャンプで登山道具を運んでいたそうだ。そして1994年、カミ・リタは初登頂を果たす。

幸運のお守りは持っていないし、リンポチェ師の祈りが込められた仏教のロットを首にかけてもいません。

しかし、カミ・リタのような記録保持者でも、最初からうまくいっていたわけではない。「私は1992年に初めて山頂を目指しましたが、初心者でしたからゴールに着きませんでした。計画通りに進んでいましたが、1回目の挑戦では無理でした。(2年後に)初登頂を果たし、ベースに戻ってきたときは本当に誇らしく思いました。この大変なことをする体力があるのが証明されたので、幸せな瞬間でした。」

エベレストの人類初登頂を達成したのはエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイ

何十年もの失敗の末に、エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイは1953年5月29日、エベレストの人類初登頂に成功しました。(テンジン・ノルゲイは、カミ・リタと出身地が同じだ。)ヒマラヤン・データベースによると、およそ6,000人の登山家がヒラリーとノルゲイの足跡をたどった。経験豊富のガイドの力を借りることによって、より多くの人が地球の象徴でもある山の頂上を目指せるようになった。そして2019年5月23日には354人の登山家が頂上に到達、ギネス世界記録「1日におけるエベレスト登頂者最多数|most ascents of Everest in one day」に認定されている。

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カミ・リタは現在、トレッキング・エージェンシーのセブン・サミット・トレックス(Seven Summit Treks)に属しており、世界最高峰の山の制覇を夢見る各国の登山家たちを手助けしている。シェルパは多くの場合、登山ルートを計画、ロープの取付け、クレバス横断のためのはしごかけ、調理、酸素ボンベなどといった物資の運搬を行う。カミ・リタと(17回のエベレスト登頂経験のある)ラクパ・リタはネパールのクンブ地域にあるタメ出身。タメの男性の多くは、登山家のガイドまたはポーターとして働いている。

24回目のエベレスト登頂を終え、ネパールの首都でネパールの国旗を掲げるカミ・リタ

ヒマラヤにおける商業的な登山旅行はシェルパにとって重要な資金源だ。登山家は1回の登山で最大90,000ドル(日本円で約970万円相当)を支払うため、ネパール経済に年間400万ドル(日本円で約4億3,000万円相当)貢献している。カミ・リタによると、45日間の登頂可能期間で12,000ドル(日本円で約130万円相当)の収入を得ることも可能だそうだ。

一方で、エベレスト登山は大きな危険を伴う。2014年4月18日、カミ・リタが「史上最悪のエベレスト登頂」と呼ぶ出来事が起きた。ベースキャンプ付近で突然雪崩が発生し、シェルパ16人が命を落としたのだ。「1日におけるエベレストでの死者最多数|most deaths on Everest in one day」を記録した日となってしまった。カミ・リタとラクパ・リタは現場にすぐさまかけつけ、遺体を雪から掘り出した。

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カミ・リタは、1つひとつの山には女神が宿っていると考えている。何か月もかけて行われる登山の準備中、彼は祈りを捧げ、女神に足をつけることの許しを請っているそうだ。「どんなに体力があって、準備が万端でも、神のお許しがなければ、頂上にたどり着くことはできません。」


1. ベースキャンプ: 5,364 m; 2. キャンプ I: 6,000 m; 3. キャンプ II: 6,401 m; 4. キャンプ III: 7,201 m; 5. キャンプ IV: 7,951 m; 6. 8,000 m以降は「デス・ゾーン」とも呼ばれており、酸素が少なく人間が長く生き延びることができず、実際死者の多くはこの「デスゾーン」で起きている。

ラクパ・シェルパ

2000年5月28日に初登頂を果たしたラクパ・シェルパは「エベレスト登山最多回数|most ascents of Everest (female)」(9回)に認定されており、最後に登頂したのは2018年5月16日だ。エベレストが見える場所で生まれ育ち、15歳でポーターの仕事を始め、重いギアを持ってヒマラヤのキャンプ間を行き来していた。それから12年後、彼女は初めてエベレストの山頂を経験した。

ラクパ・シェルパ、9回目のエベレスト登頂にてエベレスト登山中、酸素マスクを着用したラクパ・シェルパ

最近の研究によると、6,000年に及ぶヒマラヤ高地での生活を経たシェルパは、4,000 m以上の大気環境でも機能するような遺伝的体質が備わったそうだ。8,000 m以上になると、酸素濃度の少なさでめまいや頭痛、呼吸困難や錯覚に陥る場合がある。そのため、この高度での登山は"デス・ゾーン"とも呼ばれている。

ラクパによる登山はこの困難な部分を夜10時あたりから挑む。うまくいけば、その7時間後に頂上に着ける。山からおりるのは、日が出ているうちの方が安全だ。頂上で過ごす時間は20分程度で、そこからベースキャンプへ向けて12時間の道のりが始まる。

シェルパが重症な高山病を経験することはまれだ。彼らの筋肉は、低高度に住む人々より、酸素をより効率的にエネルギーに変えることが最近の研究で明らかにしている。この発見は、がんや心臓病など、体組織の酸素濃度を低下させる病気を改善させる研究に扉を開けた。

ラクパ・シェルパが2000年に初登頂することで、エベレストを登頂し帰還した初めてのネパール人女性となった。しかしこの7年前の1993年4月22日、もう1人のネパール人女性がエベレストの頂上に達していた。パサン・ラム・シェルパは、下降の際に頂上付近の過酷な気候環境の犠牲となり、命を落とした。しかしエベレスト登頂に関しては、彼女は現在でも多くの人々にインスピレーションを与えている。驚くべきことに、1953年の人類初登頂以降、パサン・ラム・シェルパの登場まで、ネパール人女性が登頂は果たされなかったのだ。そして1973年、田部井淳子が「女性初のエベレスト登頂|first woman to climb Everest」を果たした。

ギネス世界記録公式認定証を持つラクパ・シェルパ

パサン・ラムの偉業がニュースで流されたとき、チュリム・シェルパはまだ子どもだったが、そのニュースに大きな影響を受けたと本人は語る。「女性があの場所に行けるなんて考えられませんでした。」そして2011年、チュリムは「1シーズンで初めて2回のエベレスト登頂した女性|first woman to climb Everest twice in one season」となった。(ちなみに、5月の登頂は多いのは、気候が最も穏やかで、登頂を成功させるためのよりベストな環境が整うからだ。)

一方で、目に見えない障害を乗り越えなければいけなかった。シェルパにとってエベレストは神であり、女性が登るという試み自体が不適切だという声があがったのだ。

チュリムと同様、ラクパは登頂のためのスポンサーを集めるのに苦労した。ネパールのマカルー出身の彼女は8年間アメリカのコネチカット州に住み地域のストアで食器洗いやゴミ出しなどの仕事を行い、次の登山に向けての貯金をしていた。こういった仕事は重労働だが、ラクパは快く受け入れている。ジムの資金などを調達せずとも、仕事で体を鍛えることができるからだ。そして家に帰れば、母としての役割が果たせる。2019年、彼女は「クラウドスケープ・クライミング(Cloudscape Climbing)」を立ち上げ、ネパールの山々を制覇したい登山家をサポートする。これで得た資金を将来の登山費にあてたればと考えている。

私はトレーニングをしません。食料品店での仕事を頑張るだけです。私の登山家へのアドバイスは、まずはより小さなヒマラヤの山に登ること。それがエベレストへの準備につながります。

ラクパは、自身の功績が男性社会で疎外感を頻繁に味わっている女性たちにインスピレーションを与えられたらと考えている。彼女自身も幼少期、女性は学校に行くことができなかったので、女性であることの弊害を体験している。「ネパールでは1に男性、2に女性です。それに私はノーと言います。男性が女性から学ぶこともできるし、女性が男性から学ぶこともできるのです。」

しかし、海外からの登山の需要が増えると、競争が激しくなり、シェルパにプレッシャーがのしかかる。そして残念ながら、エベレストに敬意を払う大事さは、欧米の登山家のほとんどは尊重しない。彼らは登山ギアや食べ終わった缶やボトル、排せつ物などといったゴミの山を残し、去っていくのだ。

2019年、ネパール政府の要求を受け、12人のシェルパがエベレストから10トン以上のゴミを集めた

エベレストの輝きを取り戻すために、ここ数年間、ボランティアが美化活動を行ってきた。悲惨にも、エベレストで命を落とした遺体の多くは、そこに放置されている。この遺体を回収するのも危険な作業で、5人程度のシェルパが協力して行わなければならない。2019年には10,386 kgのゴミが撤去され「エベレストにおける最大の清掃|largest clear-up on Everest」としてギネス世界記録に認定されている。

ラクパ・シェルパとその娘、シャイニーとサニー。ラクパは息子ニマもいる。

3児のシングルマザー、ラクパ・シェルパは、プライベートで苦痛を体験してきている。エベレストを登ることは、それを癒すプロセスそのものだ。山とのつながりを感じるそうで、2019年に父親が亡くなったとき、彼女は予定していたエベレストへの登山を延期した。悲しみをエベルストに持っていきたくなかった(「安全ではない」と本人は語る)のだ。また、恐怖を山で見せるのは危険だと信じている(「あなたが怖かったら、山を怖がらせてしまう」と言う)。

登る回数は頭にありません。ただ、なるべく多く、エベレストに登りたいだけです。

エベレストに対する敬意と、エベレストがはらむ危険は常に彼女が最も意識していることだ。だから登るたびに、風に「お願いだから私を殺さないで」とささやき、ちゃんとした理由を持って山に来ていることを伝えている。ラクパのエベレストへの登頂は全て成功しているーー山は彼女の声に耳をかたむけていたのかもしれない。

カトマンズでサガルマタの日を祝うカミ・リタとラクパ・リタ(2018年)