アンディ・グリーン: 最も速い車(陸上)

速度計が350 mph(560 km/h)を指したとき、アンディ・グリーンは、車がコントロールを失い始めていることに気付いた。ハンドルの細かい動きに応じてよろつき、それを修正するためにまたハンドルを動かした。制御できなければ世界記録への希望が途絶えるーーグリーンは、ブレーキを踏んだ。

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1997年5月、当時は34歳だったイギリスの戦闘機パイロットは"休暇"に入っていた。ヨルダンのAl-Jafrという場所を訪れていた。そこで彼は、重さ10トン、長さ14.5メートルの車「Thrust SSC」を運転……いや、操縦していた。動力はジェットエンジン。アンディ・グリーンは、アメリカで世界記録の挑戦をするを前にして、エンジニアたちとともに最終調整を行っていたのだ。

午前中、ジェットの回転が弱まり車がゆっくり停止した。「このプロジェクトはダメだ。車は不安定だ。もう終わりだ。」グリーンはそう考えた。夜中になり、もう一度考えなおしたが、できることは、車が安定するように無理矢理制御することだと結論付けた。細かい調整を続けて車を安定させようというのだ。これは、鉛筆を指で縦にバランスさせるくらい難しいことだ。

しかしこれを何とかやってのけた。テスト最終日の1997年6月3日、グリーンはThrust SSCを時速788 km/hまで持っていくことに成功した。テスト地の広さで出せるスピードはこれが限界。あとはアメリカで本番を迎えるのみとなった。

空から地上へ

アンディ・グリーンがこの異様なプロジェクトに参加したのは1994年6月のこと。新聞に「音速を破るドライバー求む」という広告を見かけたのがきっかけだった。陸上での最高速度記録は、1983年10月4日に、イギリスのリチャード・ノーブルが1,019.467 km/hで更新していて、幼少期のグリーンを魅了した。今度は音速の壁を越えようと、ノーブルは新たにチームを結成し、テストドライバーを探していたのだ。

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戦闘機パイロットの経験を持っていたグリーンは、採用される可能性が高いことを知っていた。しかも111メートルのバンジーをするほどのスリル好き。緊張しやすい性格の人たちは、そもそもこの仕事に手を挙げないだろうとグリーンは考えた。そしてこのプロジェクトは、グリーンの愛国心を刺激した。イギリス国民として、イギリス製の車体で世界記録をイギリス女王と国に持ち帰るチャンスだった。自身が所属するイギリス空軍も世界記録を数多く更新してきており、その歴史に貢献するのも魅力だったそうだ。

グリーンはオックスフォード大学のウースター・カレッジに在学し、数学で第一級優等学位で卒業。在学中、ローイング8人漕ぎ(エイト)の選手として活躍したり、オックスフォード大学空軍飛行隊にも所属していた。卒業から1年足らずでイギリス空軍の少尉となり、戦闘機部隊としてのトレーニングを開始した。

この新聞広告を目にしたころ、グリーンはパナヴィア・トーネードを操るイギリス空軍の大尉だった。飛んでいないときは、バイクをいじったり、ボブスレーでレースをしたり、マラソンに参加したりしていた。グリーンにとって、陸上の最高速度を目指すのもそういった趣味の1つと考えていた。達成するだけで満足だったのだ。

The Thrust SSC engineering team pose between the car’s two massive jet engines

グリーンがチームに加入したときには、車の製造はすでに進んでいた。ノーブル率いるチームはロールスロイスのジェットエンジン「Spey」を4基入手していた。うち2基は新しい実験版モデル「Mk 205s」だった。これはF-4Kファントムで採用されているエンジンだ。Thrust SSCは2機の巨大なエンジンを中心に設計されていて、外見は主翼のない戦闘機にも見える。

推力は182.3 kN。Mk 205sを採用するとこれが222.4 kNに増える。パワーとしてはこれで申し分なかったが、問題は制御だった。あらゆるデザインを検討したが、最終的には後輪でステアリングをするという変わったセットアップに落ち着いた。ジェットエンジンのエアインテイクの手前に固定され、一方の後輪は、車の中心に2つで、少し前後ずれた配置となっている。

この変わったステアリングの有効性をテストするため、エンジニアたちはかなり変わったミニ・クーパーを用意した。正面から見るとスタンダードなミニだが、後部には鉄のトラスが伸びていて、縦に2個ホイールが並んでいる。ラダーのように車の向きを調整する仕組みを、グリーンはテストした。

Thrust SSCの微調整は臨機応変に行った。1996年9月および1997年5月には、テストランを繰り返しながら新しいパーツをその場で製作したり、デザインの変更を行ったり、制御システムのプログラミング変更を行ったりした。700 km以上の走行を終え、車の準備は完了したと判断したチームは、車を挑戦の場であるアメリカのネバダ州に輸送する準備にとりかかった。 

Mechanics working on Thrust SSC in the desert
Andy Green pilots Thrust SSC across the Black Rock desert

1997年10月15日、グリーンはThrust SSCに再び乗り込んだ。同年9月に最高速度の記録は更新していたが、音速には達さなかった。挑戦は終わっていない。

前に見えるのは22.5 kmの塩類平原。石やデブリがないか1インチ単位でチェックされ、まるで鏡のように表面がスムーズな挑戦用トラックと化した。Thrust SSCのノーズの先には、白いペンキが塗られていた。動き出せば、グリーンが頼りにできる基準はこれしかない。速度が出れば視界はぼやけるし、そうでなくても、コックピット左右から突き出て見えるナセルが視界を遮る。水平線のどこかには、1マイル間隔に置かれた測定ポイントがある。そこを通過した速さで、世界記録が決まる。

午前9時8分。Thrust SSCは動き出した。エンジンは高速度を出すために調整が行われているため、100 mphに到達するまで20秒かかった。しかし空気流が上昇するにつれ、たったの4秒で100 mphずつ加速度が上がっていった。グリーンの身体はシートに強く押し付けられた。

コックピットからは、速度が前より速かったのか遅かったのかを判断することはできない。グリーンは車体をコントロールすることに全神経を注いだ。しかしこれはヨルダンのときよりうまくいかない。加速するとシステムは自動的にエアロやサスペンションなどの設定を変える。急激な加速を続けながら車体を地上に押し付けるには必要不可欠なことだが、その分グリーンに課されるハードルは高くなるのだ。

それでもグリーンは辛うじてマッハ計が「Mach 1」を越えたのを確認することができた。パラシュートを出したとき、グリーンの気分は上々だったという。

Thrust SSCのソニックブームは本当にパワフルで、トラックが終わる10マイル先にあるガーラックの住民は、地震だと思ったそうだよ - アンディ・グリーン
 
速度記録を確定させるためには、車両を逆方向に走らせ再度速度を測定しなければならない。午前10時4分、グリーンは再びアクセルを踏んだ。本人が確認できる限り、速度は1,240 km/h出ていた。聞こえるのはタービンの高鳴りだけだった。エンジンの轟音は聞こえない。ソニックブームはグリーンと共に前に進んでいた。外で見守っていた人々は、痛くなるほどの騒音に耐え続けた。近くの町、ガーラックでは、壁にかかっていた写真が落ち、学校のスプリンクラーが作動し、自動車の防犯アラームが合唱を奏でたそうだ。

公式のタイムが入ると、2つのランで出た速度の平均は1,227.985 km/h。グリーンは、目標であった「史上初の陸上におけるスーパーソニック速度|first supersonicland-speed record」の記録樹立を達成した。

最高の瞬間は、初めて音速の壁を超えたときだったよ。メディア含む多くの人が砂漠の上に立って、最後にはみんな(記録が樹立されるようにと)祈っていたよ ー リチャード・ノーブル、プロジェクトリーダー

メディアからの注目が落ち着いたころ、グリーンは元の仕事に戻った。繰り返すが、彼にとって記録挑戦は、休暇中にやる趣味に過ぎないのだ。プロに転向する気もさらさらない。記録挑戦後まもなく、グリーンは飛行隊のリーダーに任命され、2003年には中佐に昇格した。それでも、陸上での記録達成は、グリーンを魅了し続けた。

Wing Commander Green poses with a Eurofighter Typhoon at an event held to mark the RAF's 100th anniversary

陸を走るジェットの後

2005年、グリーンは英エンジニアリング会社「JCB」の会長から声がかかった。750 hpの出力を誇るディーゼルエンジンを開発したから、それを改造し、ディーゼルを動力とした陸上最速記録を狙おうとしたのだ。

The JCB Dieselmax that Andy Green piloted to the fastest diesel land speed record in 2006

グリーンは、少なくともこのエンジンを2つ準備してしっかり挑戦をすることを条件に、ドライバー担当を快諾。そして2006年8月22日に「最も速い車(陸上・ディーゼル)|diesel land-speed record」を更新した。記録は563.418 km/hだった。実際は724 km/h程度の速度は出せるパワーはあるものの、タイヤがそれほどの速度に耐えられないため、このような結果となったそうだ。

Andy Green with the Bloodhound SSC during speed trials in South Africa
...and here pictured during the speed test

現在、グリーンは「Bloodhound LSR」というプロジェクトに関わっている。最速記録を狙うプロジェクトこのプロジェクトは技術的躍進を遂げ、1,609 km/hの速度が可能だろうと言われている。経済的な問題もあり何度も遅延が生じたが、車はようやく完成。世界記録への新たな挑戦も間近だ。

2019年11月16日、グリーンは南アフリカで行われたテストで1,011 km/hを記録。テスト機にはハイブリッド燃料のロケット・ブースターは装着されていなかったにも関わらず、10大最速車両の仲間入りとなっている。Bloodhound LSRが記録を更新する日は、そう遠くはないだろう。

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