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命知らずのクライマーが新たな高層ビル登頂に挑戦しました。舞台となったのはスペインのメリア・バルセロナ・スカイホテル。54才になる彼に、その驚くべき半生を伺ってみました。

彼はフランス・ブルゴーニュの自宅マンションから締め出されてしまいました。しかし、両親の帰宅はまだ相当先でした。

若い彼にとって、目の前の困難を乗り越えるために選択するべき道はただひとつ、7階建てのマンションを素手でよじ登ることでした。

「皮肉にもマンションの名前-L’Oisans-は、フランスで2番目に大きな山の名前でした。」

つまりこの瞬間が、「フランスのスパイダーマン」として世界に名を馳せることとなるアラン氏がその後展開する、フリーソロ登頂の幕開けとなりました。山や絶壁のみならず、世界有数の高層ビルを、素手と少しのチョークだけでよじ登るクライマーです。

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「すべての始まりは「The Grieving Snow ("ザ・マウンテン"1956年)」というヘンリ・トロイアの小説を元にした映画でした。映画では、インド発の飛行機がヨーロッパの最高峰近くに墜落します。そこで、2人の有能なクライマーが生存者を求めて山に挑むのです。」

「この映画は私の情熱に火を点けました。2人の兄弟が巨大な山に挑んだ時、これが勇気というものだと気づいたのです。僕には勇気がありませんでしたが、本当は、ゾロ・ロビンフッド・ダルタニャンなど、大好きなヒーローのように勇猛果敢になることを夢見ていました。そして、山に挑むことが、突然のように現実味を帯びてきたのです。

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 その日からアラン氏はロッククライミングに真剣に取り組み始めます。高所の恐怖を乗り越え、自分の最も望む道を進むことに夢中になったのです。

L’Oisansを登ったことが、彼に大きな指針を与えました。アラン氏は、登頂している最中でも、決して登ることに恐怖は感じません。

彼は程なくして、最も困難と言われるような壁やルートを登り、名を知られるようになりました。それは全てフリーソロと言われる形式のスポーツで、サクショングリップ、ハーネス、ロープなどの安全装置を一切使用しません。

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しかしアラン氏は、そのような危険な登頂が恐ろしい結果を招き得ることも知りました。

1982年、軽やかにロッククライミングを行なっていた彼はグリップを失い、15mもの高さの崖の上から転落します。
本能的に腕を前に組み、オーバーハング(斜度が垂直を超える岸壁)の下にあるギザギザの岩への落下に備えました。落下の衝撃は、即座に手首や腕、肘を打ち砕きました。

「他にも怪我を負いました。骨盤、膝、かかと、鼻。しかし、手首の怪我が最も重大でした。5日間昏睡状態に陥ったあと、目が覚めました。とある高名な外科医からは、今後クライミングを行うことは出来ないだろうと告げられました。でも、私はその言葉に耳を傾けるつもりはありませんでした。」(アラン氏)
この情熱的なクライマーは、数多くの物理療法を経て、2年後に復帰を果たします。

怪我が彼をフリーソロクライミングから遠ざけることはありませんでしたが、ある永続的な状態をもたらしました。

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転落時に頭部に受けた外傷によって、アラン氏は生涯めまいに苦しむことになるのです。頭部を上下に動かすと耳鳴りに襲われる疾患です。

地上10mを超える高さにおいては、バランスを崩しかねない病気を持つことは、アラン氏を含め、すべてのクライマーにとって悪夢と言えるでしょう。

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 「失ってしまったものを嘆くより、残されたものを最大限利用することを考えるようにしました。それが私の秘訣です。めまいは危険ですが、それによって突き落とされるわけではありません。見えるものをそのまま受け入れ、現実を反映させないこと。これは最も難しいことであり、簡単に乗り越えられる感情ではありません。しかしそれに正面から向き合ったとき、私はバランスの欠如と転落は別物であることに気づき、乗り越えたのです。」

アラン氏の考え方や柔軟性は賞賛に値するでしょう。

実際これは、世の中で最も急で滑りやすい山とも言える超高層ビルへ挑戦する、彼の原動力となっています。

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 まるでキング・コングのように、アランはニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングを登頂しました。1994年のことです。補助、装備を一切つけないそれは、違法な挑戦でもありました。

その頂きは、かつて無い高さ(正確に言うと1454フィート)でしたが、それでも彼はそのマンハッタンの頂点を目指しました。

窓枠の間に指をかけ、棚状の突起に足をかける技術を駆使して、アラン氏は象徴的な建造物への登頂に関わる、3つものギネス世界記録を手にします。

頂上に到達するのは、新しい人生の出発の瞬間のようなものです。私はそれを生まれ変わりと呼んでいます。

この感覚は20年間に渡りアラン氏の中にあるものです。その間、彼は世界各国の建造物の登頂を行いました。ゴールデンゲートブリッジに始まり、エッフェル塔、シドニー・オペラハウス、ウィリスタワー、ザ・シティタワー、イタリアビル、ポートランドハウス、シンガポール・フライヤー、そして、ナショナルバンクオブアブダビへと繋がります。

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その伝説的登頂で、彼は最も多くのビル登頂 ( Most buildings climbed ) の世界記録を達成します。登ったビルは1994年から数えて121。全てめまいとの戦いを制しての挑戦でした。

「過去40年に渡り、私は自分の心理について多くを学びました。私はファイターであり、人生で最大の危機を迎えても、最後まで戦うでしょう。物事と目標は常にそこにあります。実際の登頂前に身体と精神を準備しておくことで、仕事の半分は終わっているのです。」

それぞれの登頂にアラン氏がかけるのはほんの数時間程度。400mのビルを登るのさえたった2時間です。

アラン氏はビルに登る度に、無許可登頂にまつわる法的問題に直面します。そして現地の法律に背いた為に、数晩を牢屋で過ごすことも少なくありません。

「中国では6日間牢屋で過ごしました。東京では9日、サンフランシスコでは7日、枚挙に暇がないですね。」

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 しかし彼が直面した最悪の局面は、2009年にマレーシアのペトロナスに登った時のことでしょう。

アラン氏は法律家から登頂を思いとどまるよう強く警告されます。もし敢行すれば最大5年もの間投獄されるリスクがあるというのです。これを決して軽く見ることはできません。

普通であればそれは、この仕掛り中の452mのタワーへの挑戦を諦めるに十分な理由だったかもしれません。

1997年と2007年の2度に渡り、アラン氏は不均一な表面と溝を持つこのタワーへの登頂に失敗します。明らかに過去彼が経験した中で最大難度の表面でした。

今回の挑戦は、アラン氏が自分のためだけに行うものではなく、フランスのスパイダーマンが著名なビルを征服する姿を捉えるべく、撮影クルーも同行していました。

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自身の勝利と心の平安を得るためのペトロナスタワーへ挑戦。必要な機運は十分に高まりました。

6時間後、アラン氏は彼の登頂人生で最も長いものの一つを経験することになります。登頂の最終局面に至っても、吹き付ける風がバランスを奪い去ろうとする中、命をかけてしがみつきます。

そして彼は、成功は困難との予想を見事に裏切り、勝者として地上に戻ってきたのです。

それから2年後、アラン氏は彼の能力に究極の課題を与えるべく、型破りの建物への挑戦を思いつきます。

過去の挑戦で得た外交ルートを通じ、アラン氏は世界一の高さを誇るバージ・カリファ Tallest buildingへの登頂の機会と許可を得ました。

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 高さ829.8m(2,722フィート)。この挑戦はアラン氏自身にとっても、他の誰にとっても、稀有のものと言えるでしょう。

あらゆる点において、あれは偉大な勝利でした。技術的側面からもあのビルは本当に大変でした。登頂が終わりを迎えた頃には真夜中になっていました。寒く、風が吹きすさびます。そこはドバイの他のどのビルよりも遥かに高く、全てを小さく見下ろすような場所でした。

翌日、アラン氏は登頂を成功させたそのビルの上にあるレストランで、友人達と成功を祝いました。

所要時間は6時間13分。アラン氏の記録に新たにとてつもない足跡、バージ・カリファの補助無し登頂最速記録|Fastest time to climb the Burj Khalifa Tower unassisted、が加わりました。

「ギネス世界記録の認定を受けるのは楽しく、価値があり、意味のあることです。それは人々の心に深い足跡を残すということだと思います。」

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アラン氏は2012年にも新たな記録を重ねます。トーチ・ドーハの補助なし最速登頂記録Fastest time to climb the Torch Doha unassistedです。

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300m(980フィート)のビルの登頂にかかった時間は1時間33分。窓と滑らかなパネルに覆われたビルに、安全装置を付けずに行った挑戦でした。

トーチ・ドーハの頂上で、アラン氏は最高の気分に浸りながら、約30分に渡って電話をしたり、頂上で待機していたカメラクルーのインタビューを受けたりしました。

「ビル登りは私の人生を全く予期しない方へと導きました。今ではとても楽しく、人生を豊かにし、自分が誰であるかの答えもくれているように思います。」

 これらの記録達成後、アラン氏は更なるビル登頂を続け、まだまだその挑戦が終わりを迎えることは無さそうです。

最近、彼は地球温暖化問題など、自身の問題意識を人々に共有してもらう為に、登頂を通じて集めたメディアからの注目を利用しています。

「本来私は、結果如何に関わらず夢を実現することが好きなのです」(アラン氏)。「様々な問題は横に置いて、好きなことに挑戦すること。クライミングに人生をかけているのです。」

「ギネス世界記録」に挑戦する

[編集部 スズ]

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