書籍『 ギネス世界記録 2017 』掲載!

※当エントリーは、発行時点の情報です

私はあまり満足しない人間です。自分で自分の限界を決めてしまわない事が大切です。

バイオマスエネルギーで循環型社会を創造するために必要なこと

今回は、「酵素のX線結晶構造解析における最高解像度」という非常に難解な名称のギネス世界記録を樹立された、東京大学五十嵐圭日子(きよひこ)先生、一緒に研究されている中村彰彦さん、石田卓也さんにお話を伺いました。当初、理解するのが相当困難なのではないか、と構えながらのインタビューでしたが、誰にでもわかる優しい解説は、世界中を驚かせるに値する内容でもありました。世界記録を打ち立てた研究室の秘密に迫ります。実は、この記録に裏に隠された熱い想い、ソーシャルなテーマとは?


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ギネス世界記録に認定されてのご感想をお聞かせ頂けますでしょうか?

やはり家族を含めて、一般の人にきちんと仕事が評価して頂ける、理解して頂けるという事を感じました。私達の仕事の内容というのはわかりにくくて、何が凄いのかもわからない。でも今回ギネス世界記録に認定頂けて「あ、これはきっと伝わる。家族にも伝わる!」というのが最初に思ったことでした。どこの論文に通ったと言っても、家族には「ふーん」みたいな感じで終わりですからね。

ギネス世界記録に挑戦しようと思ったきっかけを教えてください。

今回「解像度0.64Å(オングストローム)」(オングストロームは1000万分の1ミリ)という記録を申請させて頂きましたが、もしこれが「0.65Å」であっても見えるものはほぼ変わりません。でもこの解像度の高さが自分たちが突き詰めているものの「証」であることは確かです。この数値は、酵素(化学反応を行うタンパク質)の構造としては世界一の解像度だとなった時に、これをどうやって表現すれば良いかという事がわからなかったんですね。そこで、もうギネス世界記録でも申請してみるしか無いという言葉がその時に出たんです。

「0.64Å」という数値はどのように計測され、どういう意味を持つのでしょうか。

解像度は測定するその場でポンと出るわけではないんです。イメージをパソコンで解析して、大量のデータを処理します。タンパク質の構造解析をする場合は、必ず解像度を示さないといけないのですが、これが1Åより小さい値になると、ハイレベルと言われる領域に入ってきて、それが0.8、0.7、0.6となってくると、海外などでは「アメージング!」と言われるような感じでしょうか。「解像度が高い」ということは、酵素の構造を人間がより理解できるということでもあるのです。

カメラの解像度で言う「ピクセル」のような感じのものでしょうか?

似たようなものと言えるかもしれません。酵素はアミノ酸がいっぱいつながっているんですが、それぞれの形がどれだけ詳しく見えるかという事です。ぼんやり見えていたものが、次第に凹凸まで見えるようになる。雰囲気としてはポリゴンなどに近いかもしれません。「0.64Å」と言っているのは、観測ポイントの間隔みたいなものなのです。

もちろん機械が良くないとこのような結果は出ないのですが、一番重要なのはタンパク質の結晶を作るところ、研究者のスキルなんですね。これが職人と言われているところなんです。みんな結晶を作るところに命を賭けているようなものです。

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解像度が高いということは酵素の構造の細部が見られるということ
細部が見られるということは、研究が進むということ


その結晶を作るプロセスというのを、小学生にもわかるように教えて頂けますか?

採取したばかりの酵素は「粗酵素」と呼ばれて、純度は高くても50%程度ですが、それをとにかくできる限り精製して、純度の高いところまで持っていきます。

具体的な操作としては、樹脂が入っている筒の中に精製したい酵素を通して、他のタンパク質や物質から分離します。これを何度も繰り返してある程度の精製度になれば結晶は出来るのですが、私たちはそこから更に純度を上げてこれ以上綺麗にできないという純度の酵素を使って結晶を作ります。これによって「この酵素はこういう形をしているからこういう反応をするだろう」という事が、より詳細にわかるようになります。


同じことを研究されている学者さんって世界中たくさんいらっしゃると思うのですが。

タンパク質の構造自体はすでに10万も解かれています。シンクロトロン(円形加速器)という、一周1.5キロもあるような装置があるんですが、そこに電子をぐるぐる回して発生する非常に強いX線をタンパク質の結晶に当てます。日本では大きいもので3~4施設。世界ですと20箇所以上あるでしょうか。それによってタンパク質の構造を調べるわけですが、そのような実験をしている研究者の間では、このレゾリューション(解像度)は「おおっ」って言うものだと思います。

実は私達よりも前に、2008年頃でしたでしょうか、0.65Åという解像度を出したチームがあります。その時の酵素は、私達の酵素(セルラーゼ)とはちょっと違っていて、タマゴの白身とかに多く入っているリゾチームという酵素でした。これは最も結晶化しやすいタンパク質の一つで、中学生の実験でも使うと聞いたことがあります。そのリゾチームでも0.65Åの解像度を出すことは難しいのですが、今回リゾチームではない酵素でその解像度を抜いたので、どうにかその瞬間を記録に留めたいと思ったわけです。科学の進歩にも意味があることですから。



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今回の酵素、セルラーゼをわかりやすく教えて頂けますか?

セルラーゼは木や草の主成分である「セルロース」というものを分解する酵素で、私達の本来の研究はそこにあります。セルロースは「ぶどう糖」がつながった物なので、分解すると木や草から糖分を取り出すことが出来ます。

研究室にあるコンピュータで、セルラーゼの内部構造を3Dで見ることができますが、このアミノ酸が重要だとわかったら、その部分を何か他のアミノ酸に変えて活性を向上させるような実験をしています。さきほどのレゾリューションが高ければ高いほど(解像度の数値が低ければ低いほど)、酵素の構造が正確に細部まで見えるということになります。一個一個の原子の周りを回っている電子を見ているので、本当だと非常に綺麗な球になっているのですが、そういうのがもっとクリアに見えてきます。ここで見て頂けるのは、間違いなく世界一の像ということになります。「酵素の構造が、誰よりも細かく見られる」。このことが研究にもたらすものは少なくないはずです。

(編集部注:インタビューの後に研究室で3Dメガネをかけて、セルラーゼの立体内部構造を見せて頂くことができました。その宇宙のような構造はまさに驚きでした。)


東大は全国に農場や演習林というものを持っているので、大学が所有する全敷地の99%は農学部が持っていることになります。このキャンパスなどは1%にも満たないほどです。そこから持ってきた木を使って、どうやって木に含まれる重要な成分を取り出すかというような研究もやっています。

木や草を壊すんですか!?そのセルラーゼの研究は、今後どのように応用されていくのでしょうか?

例えば「バイオ燃料」があります。木や草からアルコールを作って、エネルギー問題を解決するといった事も出来ます。また、こういう酵素を使って糖を取り出すことができると、そこからバイオプラスチックを作ったりもできます。つまり資源のない日本が、石油や石炭に変わるエネルギーやマテリアルを得ることが出来るようになるんです。

自然界ではキノコやカビは木や草を食べて生きています。私達はそのような生物が作る酵素を使っているんですね。これを上手く使いこなすことが出来れば、木などから色々な物質を作ることが可能になります。

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キノコやカビがやっているようなことを、酵素を使って人工的にやるんですね。バイオマスというジャンルの研究をされているという事ですが、そういった研究が社会を変えていくというイメージでしょうか。

そういうことです。こういう技術を使っていかないと、どうしようもない状態になってきています。昨年末のCOP21でパリ協定が成立しましたが、そこで再生可能な自然界にあるものをどう使っていくのかという事が話し合われました。それを高度に活かすことのできるのが酵素で、私たちの研究はそのうちの一つになります。

特に今回のパリ協定は、特定の国だけが批准した京都議定書と違って、途上国を含むほとんど全ての国が参加する枠組みなので、もう逃げ道はありません。

人間は何億年もかけてためてきた石油や石炭などの資源を使いすぎてしまいました。太陽エネルギーで出来る資源を使って、それを戻していくというサイクルを作っていかないとなりません。

石油や石炭などの資源は何億年もかけて溜まってきたものなのですが、それを私たち人間は数百年で使い切ろうとしています。言い換えると、本来僕らが使って良い量というのは、現在みんなが1年で使っている量の100万分の1、つまり30秒分だけなんです。だから、太陽エネルギーから作られる資源を使って、それを自然に戻していくというサイクルを作っていかないといけません。

木を切るというと悪いイメージもあるのですが?

木は若いうちは二酸化炭素を吸って、自分たちの身体を作り生きていくんですが、大体樹齢30年程で、二酸化炭素を出す量と吸う量はほとんど一緒になってしまいます。そうなると使ってあげないと、今度は山自体の二酸化炭素の吸収力が弱くなってしまいます。だからきちんと切って植えることが重要になります。石油や石炭も、木や草と反対のイメージを持たれる方もいますが、石炭は何億年も前の植物の化石ですね。石油も基本的には生物の死骸から出来ている。つまりずっと昔にはバイオマスだった。それが何億年もかけて石油・石炭となって使いやすくなっているからと、私達は費消しているわけです。

3億年も待たずに、もっと早いプロセスを人工的に作るわけですね。

はい。それをやっているのがキノコやカビです。実は先人たちはこれらをみんなうまく使っています。例えば日本酒なんかも麹カビがお米を発酵させたものを飲んでいるわけです。

木からエネルギーを取り出す技術は、費用の問題を考えなければもう出来ています。今後技術がより進んで、さらに価格が下がり、太陽光があるかぎりそれを色々なものに変換して使う、持続可能な社会にしていくことが重要です。

石油や石炭などの地下資源はを掘り出すと、循環するまでにはとてつもない時間がかかります。長い時間をかけて地下に沈んだものを掘り返すということは、時間をキャンセルしているという事です。掘らずに回して行くことが重要です。

シェールオイルなど新しいエネルギー源も出てきますが、結局掘って出てくるものです。良いか悪いかで言えば、やらないほうが良い。それでも100万倍のエネルギーをどうやって賄うのかは考えないといけません。何が良いか悪いかではなく、みんなでどうしたいかを考えないと駄目だということです。


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今後の研究の方向性についてお聞かせ頂けますか?

今回は一つの酵素に集中して、こういう記録が出ていますが、キノコやカビが作る酵素は他にもたくさんあります。木を壊す酵素の研究というのは昔から色々な人がやっているんですが、この10年だけでも大きく発展しています。別の新しい酵素の発見や、既存の酵素の効率を上げる研究などまだまだ研究余地のある分野です。

それと今回のギネス世界記録などを通じて若い人にアピールして、私たち人間が今置かれている状況をきちんと考えられる人を増やしていくことが、大きなミッションだという気がします。

みんなが考えてくれるようになれば、100万倍よりは少ないかもしれないけど、少しずつ良くなって行くんじゃないかと思います。

今回の記録達成に必要だったチーム力の秘密について、少しお話頂けますか?

やっぱり個々の、実際に実験をやる人の頑張りが絶対重要だと思いますが、敢えて言うなら、仲の良さとか、楽しむ気持ちですね。それと、人の繋がりでしょうか。現場で助けてくれる人、機械面で助けてくれる人、そういう大勢の人たちを全部ひっくるめての、どでかいチームのようなものです。研究室の雰囲気としては明るく、常にポジティブです。

私たちは挑戦すれば世界一になる可能性は誰にでもあるという事をメッセージとしているのですが、五十嵐さんにとって挑戦とはどういうイメージでしょうか?

私はあまり満足しない人間なんです。だから自分にはこれくらいしかできないんじゃないかと最初から決めずに、やれるだけやって、無理だったらお酒を飲んで寝ようくらいの感じですね。自分の限界を自分で設けない事が大切です。実は今回の話にしても、解析する時にデータが大きくなってしまうからと、多くの研究者はフィルターで1Å以下のデータを切っちゃうんです。つまり自分たちで限界を決めてしまっているわけですね。するとそこ以上には絶対に行かない。でも1Åを切ってくると、そこには別世界が待っているわけです。

このインタビューを読む子供たちにメッセージを頂けますか?

とりあえず楽しんで下さい!同時に最低限サイエンスを楽しめる知識はつけて下さい。最低限の勉強は必要ですが、そこから先の楽しみは勉強する苦労など「ドカーン」と吹っ飛ぶほど面白いものですよ!


ギネス世界記録の『匠Nippon』プロジェクト特設ページ


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  • 記録名:Highest Resolution X-ray Crystallography Image of an Enzyme
  • 記録:0.64 Other
  • 記録保持者:Kiyohiko Igarashi, Masahiro Samejima, Takuya Ishida, Akihiko Nakamura,(Japan)
  • 挑戦日:2015年10月14日
  • 記録のタイプ:匠の記録, 科学の記録, 技術の記録


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