素晴らしい瞬間

ギネスワールドレコーズで働くということは、他では決して得られないものです。

GWRには世界各地のスタッフが働いています。世界記録挑戦において、彼らの素晴らしい経験を語ってもらいました。

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私の最も記憶に残っている瞬間は、滋賀県彦根市で行われた「一度に演奏する楽器の種類の多さ(Most instruments used in a piece of music)」の記録認定に携わった時です。この挑戦を企画したのは音楽教師の寺村邦子さんで、生徒たちが「小さな世界(原題:It’s a small world)」を演奏しました。挑戦が行われたのは、東北地方太平洋沖地震の発生からわずか3ヵ月後のことです。この時、余震や目に見えない放射線に対する恐怖が非常に顕著で、辛い思いをしているなか子ども達はギネス世界記録に認定されて嬉しそうでした。この時、記録認定に携われたのは光栄でした。 【カルロス・マルティネス、ディレクター(ラテンアメリカ)】

ギネスワールドレコーズで働くなかで最も記憶に残っているのは、疑いの余地なく、キング・オブ・ポップことマイケル・ジャクソンと時を過ごしたことです。ロンドン本社への招待を受け入れてくれただけでなく、彼は数えきれない自撮り写真に対してポーズをとり、アルバムにサインまでしてくれました。その年のワールド・ミュージック・アワードでは、僕はゲストとしてマイケルのステージに呼ばれました。「最も売れたアルバム(best- selling album)」にスリラー(原題:Thriller)が認定され、ステージ上で記録認定証を授与することをマイケルが提案してくれたのです。その時、同じステージ上には歌姫ビヨンセもいて、僕も彼らと共に「We are the world」を歌いました。これがマイケル・ジャクソンの最後のパブリックパフォーマンスだったのです。

【クレイグ・グレンディー(書籍『ギネス世界記録』編集長)】

私がこれまで立ち会った中でお気に入りの瞬間は、真っ昼間にNYのフラットアイアンビルやエンパイアステートビルを背景にブロードウェイ手前で「世界で最も背の高い男性(Tallest man)」ことスルタン・コーセンのポートレート写真を撮るのに、ポーズをとってもらったことです。この日はさらに、路面にイエローキャブを停めて撮影をしたのですが、一目見ようと押し寄せる群衆を制するのに5人の警官のお世話になりました。その後は、スルタンがマンハッタンに昔からあるコートでバスケットボールをプレイするショットも手に入れました。かなりハードな1日でしたが、素晴らしい日でした。

【マイケル・ウィッティ(写真&デザイン部長)】

最近のある記録認定で感じたことが心に焼き付いています。ポーランドで「同時にボディーペイントした最多数(Most bodies painted simultaneously)」の記録認定に携わったときの話です。これまで数年にわたりギネスワールドレコーズで数えきれないほど多くの認定に関わってきた私は、その時の記録認定も特に心配することなく「大丈夫」だと心の中で思っていました。しかし、なんと、世界最大のフェスの1つのである会場のメインステージで約25万人の前、さらに全国のテレビ中継で認定の結果をアナウンスすることが明確になりました。これほど大きなスケールで何かをする機会が自分に巡ってくるなんて100万年待ってもあり得ないと思っていたので、とても緊張しましたが、最終的にはうまくいったのです。聴衆全員の目と耳が私に向かっている感覚は信じられないほどで、決して忘れられないものでした。何かを求められた時の自分の真価について相変わらず残っていた疑念はそれ以降なくなりました。その時の経験が私に力を与えてくれたのです。 【ルイーズ・トムス(B2Bプロダクトマーケティングマネージャー、ライブイベント)】

ギネスワールドレコーズで働いて以来、多くの素晴らしい瞬間に立ち会いましたが、なかでもMineCon(ゲーム『マインクラフト』のカンファレンスイベント)でのGWRライブは際立って記憶に残っています。一般の人々の前でライブショーを立ち上げたのはこの時が初めてでした。イベントでは何千人もの挑戦者が参加し、8つのギネス世界記録が破られました。MineConの来場者に楽しんでもらい、思い出を作り、見事にGWRライブは成功しました。

【アラン・ピックスレー、シニアプロジェクトマネージャー】

ギネスワールドレコーズで働いて以来、多くの素晴らしい瞬間に立ち会いましたが、なかでもMineCon(ゲーム『マインクラフト』のカンファレンスイベント)でのGWRライブは際立って記憶に残っています。一般の人々の前でライブショーを立ち上げたのはこの時が初めてでした。イベントでは何千人もの挑戦者が参加し、8つのギネス世界記録が破られました。MineConの来場者に楽しんでもらい、思い出を作り、見事にGWRライブは成功しました。 【アラン・ピックスレー、シニアプロジェクトマネージャー】

ギネスワールドレコーズ中国支社を開く際、2つのタイトルの記録認定証を渡すにあたり、ジャッキー・チェンを上海に招いて彼と素敵な1日を過ごしました。写真撮影中、僕はジャッキーの左側に立ち、同僚のブライス・フィッツウィリアムがジャッキーの右側に立ち、僕ら認定員がそれぞれ認定証を持つかたちをとっていたのですが、写真を数枚撮ったあと何の前触れもなく、ジャッキーは「これは僕のものだ!」と言って認定証を掴み、一瞬の動きで僕と同僚を左右に追いやるパフォーマンスを見せてくれたのです。僕らがビックリしているなか、2つの認定証を左右の手に持ちながらしきりにカンフーポーズも披露してくれました。おかげで、ジャッキー・チェンを象徴するショットが撮れました。 【ローワン・サイモンズ(GWR中国支社代表)】

素敵な瞬間は沢山ありますが、特に陸上選手だったロジャー・バニスターのオクスフォードの自宅で、記録達成から60年経てインタビューした時のことは印象に残っています。1954年に1マイル競争で初めて4分台の壁を破った世界記録は、書籍『ギネス世界記録』が1955年に初めて出版された時に掲載されたものですが、今でも依然として陸上競技界で最も重要な功績の1つです。当時の達成した時の記録を語るロジャーの目は輝いており、限られた時間の中で我々も有意義な時間を過ごしました。その時撮影したビデオは私が関わってきたなかで好きな作品の1つです。

【ケビン・リンチ(GuinessWorldRecords.comの編集者)】